アンティークジュエリー物語n.58
ベルテロー夫人と猫の画家
レオナール・フジタ

レオナール・フジタは20世紀前半に活躍した画家で、日本名は藤田嗣治、1913年、つまり大正2年にパリへ渡り画家の集まったモンパルナスに住み、創作を行いました。
1922年の展覧会では新風を吹き込み、「パリの寵児」と呼ばれたほど、活躍しました。
フランスの絵画界で唯一 ” 日本出身のフランスの画家 ” と呼ばれています。
猫や” 乳白色の肌 ” の裸婦像が有名で、お好きな方もいらっしゃるのではないでしょうか。

レオナール・フジタ 1920年代

フランスでもフジタの展覧会といえば行列ができるくらい、100年を超えた今も愛されています。
ここでは「エレーヌ・ベルトローの肖像」を中心にあまり見ることのできない作品をご紹介致します。
フジタには珍しく、この肖像画にはジュエリーがふんだんに描いてあり、アンティークジュエリー好きには興味深い絵かもしれません。

エレーヌ・ペルトローの肖像 1927年 個人蔵

「レ・ザネ・フォール 〜狂乱の時代」と言われた20年代のパリ、エレーヌ・ペルトローは外交官夫人で、夫婦で芸術家を支援したことで有名でした。
夫妻のサロンで才能を認められたアーティストには、詩人のジャン・コクトー、デザイナーのココ・シャネル、作家のアンドレ・ジッドや日本のフランス大使であった作家のポール・クローデル、そして画家のフジタがいます。
夫妻のサロンでパリ社交界へ足を踏み入れたフジタは、お礼にペルトロー夫人の肖像画を描きました。


夫人はエメラルドとダイヤモンドのネグリジェ・ネックレスに、たくさんのブレスレット、リングは大きめの正方形と珠型を両手に1つづつ、ブレスレットはアール・デコらしい大きめの幾何学形で、デザイン性の高さがお好みのよう、持っているものを全て着けてみた、という感じですが、この着け方も20年代の特徴で、アフリカン・アートのようにブレスレットの重ね付けが流行しました。


サロンの長椅子にはフジタお得意の猫が2匹と、背景には当時大変珍しかった金魚が水槽で泳いでいます。

当時、金魚はオリエントの国から輸入し非常に珍しがられましたから、ペルトロー夫人は、流行の最先端を取り入れていたという訳です。
「猫に金魚」は日本では馴染み深いものですが、フランスでは「オリエンタル」で「新しい」ことで、日本の蒔絵や陶磁器と同じように、いわゆる知的な文化人を表すシンボルでした。
さて、この絵には下書きがあるのですが、こちらでもジュエリーの輪郭がわかります。


ドレスもシンプルでストレート、ココ・シャネルの友人で顧客でもあったことから、おそらくシャネル製でしょうか、短めのボブヘアと似合って素敵ですね。


絵では当店でもご紹介しているアール・デコのジュエリーを着けたところがわかる上、大仰な19世紀のドレスではなく、20年代のシンプルで着やすい形が、現代ファッションの元になっていることもわかります。
この絵では丹念にジュエリーやドレスを描き込んでありフジタの渾身作と言われています。

さて、続いては珍しい作品をご紹介します。
下の絵は日本とフランスの友好のために書かれた油絵、テンペラや金箔を使った屏風仕立てです。

陸地の鳥 1929年 パリ同盟共同体所蔵

金箔を使い、まるで江戸時代の狩野派の花鳥画に見えますが、モティーフには、
やはり猫がいるところがフジタらしい感じです。


また、猫ばかりを描いていたわけではなく、可愛らしい犬も描いています。

少年像 1923年  個人蔵

どの絵もおよそ100年近く前の作品ですが、スタイリッシュな感じがしませんか?
フジタ自身は突飛な衣装にロイドメガネとおかっぱ頭の変わった芸術家という感じを受けますが、伝記には、真っ直ぐに生きるがゆえに時代に翻弄され、波乱万丈の人生を送ったと書かれています。

もし今生きていたら独特のセンスで、画家でだけでなく、ファッションやビジュアルデザインの世界で活躍してかもしれませんね。

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