アンティークジュエリー物語n.2
フォトアーティストの
カスティリオーネ伯爵夫人 I

1856年から1895年のフランス、伯爵夫人は最新流行のモードをまとい、写真家ピエルソンの前で、数百回におよぶポーズを取っていました。


その美貌と超一流のモードを携え、パリ社交界に姿を現したのは1855年の初夏、カスティリオーネ伯爵夫人は、ナポレオン3世の寵姫として、またたく間に社交界の花となります。

1837年イタリア生まれ、少女ヴィルジニィはヴェラシス伯爵と結婚し一児をもうけ、秘密裏にはスパイとも言われ政治を動かし、ことごとく成功したと伝えられている希有な女性です。


当時、写真という新しい技術に自らの姿を残すことに熱中しました。
数百枚に及ぶ写真は、当時の上流階級のモードの稀少な記録であり、今なおアーティスト達のインスピレーションの源泉となっています。
想像力豊かで破天荒、当時のタブーを全て破っていったその姿は、ナポレオン3世皇帝の寵姫という立場と共に、炎のように輝いていました。

伯爵夫人の特異なところ、それは当時、肖像画の代わりであった人物写真へ、自らがシーンとストーリーを作り上げたことにありました。
今でも驚くようなその画像をご覧下さい。


これは19世紀中期のお話で、上の画像は「 白いドレス 」というタイトルで、背景、衣装、ポーズ・・・と全て伯爵夫人の演出です。
今でいうスタイリストで演出家、そしてデザイナーでもあったのです。
こちらは「 夜の女王 」、豊かなデコルテに身につけている、皇帝からの贈り物である6連の天然真珠のネックレスは夫人のトレードマークでした。


初めてこのネックレスで夜会に現れた日、伯爵夫人のいる場所だけが ” 星のように輝いていた ” と記されています。
以来、死ぬまでこのネックレスを手放す事はありませんでした。


撮影を重ねる毎にますます演出は凝っていきます。これは「アサッシン」、フランス語で「殺人者」というタイトルです。
手にはナイフ、流行のオリエンタル風ドレス、厳かな面持ちで、悲劇女優を演じています。


他にもさまざまな扮装で写真に登場した伯爵夫人、フランス社交界の寵姫と言われたその姿を → 次のコラム n.2bis カステリオーネ伯爵夫人 II でご紹介致します。

◁ n.2bis カスティリオーネ伯爵夫人 II         n.1bis マダム・ランバン II ▷  

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