アンティークジュエリー物語n.12
19世紀のダンディ達
メンズ ジュエリー IV

19世紀、フランスは革命後のナポレオン帝政時代を経て、王制復古、再び共和制と、
政治は波乱に満ちていました。
イギリスではジョージ4世、ウィリアム4世と共に短い王位の時代です。
ジョージ4世は、革命にあったフランス王侯貴族達への援助を惜しまず、
イギリスとフランスとの蜜月が、次世代のナポレオン3世とヴィクトリア女王へと続きました。

クラブ 1868年 ティソ作 フランス オルセー美術館

両国とも、中産階級のブルジョワジーが工業生産や商業で豊かになり、王侯貴族もそれを後押ししました。
馬車から、機関車や自動車へ、新しい時代の男性達の装いは、装飾が少なくなり、現代の基礎となりました。

経済的に豊かになったブルジョワジー達も、文化に目覚めます。
いにしえの貴族のスタイルを取り入れ、装いを凝らしました。
貴族の豪奢を尽す外見だけではなく、ノブレス・オブリージュも含む精神性を重要視しました。
華麗な甲冑姿で戦地へ向かい先陣を率いる心映え、とでも言いましょうか、それが「 ダンディ 」の始まりです。

ルイ=オーギュスト・シュウィッターの肖像 1826年 ドラクロワ作 ロンドン ナショナルギャラリー / 右上:1823年のダンディ 個人像

” ダンディ ” とは ” 精神の貴族 ” とも言われています。
忘れてはならないのはダンディの始祖、イギリス人の「 ボー・ブランメル 」、本名はジョージ・ブライアン・ブランメル、ボー とはフランス語で「美男」のことで、平民の出ながら時代に乗り、ジョージ4世王の学友であり、白いリネンのシャツとネクタイ、黒のパンタロンを着け、それまでの長髪から短めの古代風の髪型で、古代発掘品のコレクションを行い、社交界の寵児でした。

リシャール=オーギュスト・ド・ラ・オーティエールの肖像 1828年 ドラクロワ作 パリ ドラクロワ美術館

ブランメルは1816年にフランスへ渡り、その趣味の良さが一斉を風靡、フランスにイギリス趣味を広めました。
彼の有名な言葉に、こんな言葉があります。

「もしも人が君をじろじろ見ている様な気がするなら、君はいい格好をしすぎているんだ。堅苦しくて、凝りすぎということなのだよ。」

ピエール=ナルシッス・ゲリン男爵の肖像 1801年 ルフェーブル作 フランス オルレアン絵画美術館

現代でも、フランスはもとよりモードの国イタリアでも、イギリス趣味や英国製の生地といえば男性のモードの基本であり、シルエットに違いはあれど、最も粋な好みとされていますね。
ブランメルは ” 豪奢な地味 ” を最高とし、冷静沈着なポーカーフェイスでも有名でした。
ブランメルの系図を引くフランスのダンディ達、シャトーブリアン子爵、画家ドラクロワ、士官で作家のロティ、ドールヴィイ、モンテスキュー伯爵・・・そして次世代にはコクトー、ダリへと続きます。

1837年のダンディ リヨン誌

作家ボードレールは、「 ダンディとして、常に崇高でいなければいけない。鏡の前で生き、鏡の前で死ぬのである。 」という言葉を残しています。
” ダンディ ” は単なるお洒落な男性を指すのではなく、「 洗練された質素 」を基本としながらも、実は大変手がかかっている点にも注目です。

シンプルな濃色の装いですが、上質の布地を使い、古代趣味のインタリオの指輪や、懐中時計にチェーン、白絹やリネンのクラヴァットへ宝石のついたピン、カフスボタン・・・とジュエリーへの凝りようは、豪奢な前世紀に引けを取っていません。

アルフレッド・ブリュィアの肖像 1853年 ドラクロワ作 フランス ファブル美術館

あくまで控えめに、しかしよく見ると非常に凝った作りで、古代遺跡から発掘された彫刻が飾られ、精密で美しい懐中時計に、エマイユや宝石が飾られた指輪を、さりげなく着けていました。

映画 ドリアン・グレイの肖像 オスカー・ワイルド原作 1890年 O・パーカー監督

19世紀後期の、 フランスのナポレオン3世と、イギリスのヴィクトリア女王の時代まで、本家イギリスはしかり、フランスでも英国流ダンディズムを基本に、地味目な、しかし上質で凝ったジュエリーのお洒落を楽しんでいました。

そして、18世紀の雰囲気を残した19世紀から、よりモダンな20世紀のべル・エポック期へ、男性像が進化していきます。

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