アンティークジュエリー物語n.10
17世紀の赤いヒール
メンズ ジュエリー II

コラム n.9 メンズ ジュエリー I から続いて、男性に焦点を当てたヒストリーをご紹介しています。

17世紀のフランス、ブルボン王朝のルイ14世は、「太陽王」と呼ばれ、金銀の輝くヴェルサイユ宮殿にテンの毛皮のマントをひるがえし、真っ赤なヒールの靴を履いて現れました。
” 脚線美 ” を誇ること、それも当時の ” 男らしさ ” の基準の一つでした。

ルイ14世 1701年 フランス ヴェルサイユ宮殿

また、王は160cmという身長を気にしてヒールを履いたとも言われています。
それにしても「 赤いヒール 」、どこかで見たような気がしませんか?
そう、現代に ” クリスチャン・ルブタン ” という靴のデザイナーが「赤い靴底」でよみがえらせ、彼のトレードマークにもなっています。
世界のセレブリティや映画でも知られたフランスのデザイナーで、故ダイアナ妃にも靴を贈ったことがあるとのこと、ヒールと靴底の違いはあれど、300年前にすでに王が取り入れていたとは・・・、


王の感覚にも驚きますし、デザインは螺旋階段のように、よみがえってくるものなのですね。

さて、靴でさえもこのように華やかでしたから、ジュエリーはより豪奢でした。
ルイ14世はダイヤモンドを好み、当時、インドからもたらされた石の最も美しいものは王の元でコレクションされていました。
ダイヤモンドの御用達商人は「ジャン=バティスト・タヴァルニェ」、
パリの地図商人の息子に生またタヴァルニェは、当時、危険と隣り合わせのオリエントやインドへの旅を繰り返し、最も美しい石を王に売りました。

そのうちの一つは歴史上有名なダイヤモンドで、「 フランスの青 」( あるいは王冠の青 )と呼ばれた、今の単位では元の大きさが約112〜116カラットと伝えられるブルーダイヤモンドでした。
ルイ14世は、カットを施し身につけ、受け継いだルイ15世によりトワゾン・ドール勲章へセッティングされました。


ブルーダイヤモンドは革命で失われましたが、数奇な運命を経て「ホープ」の名で現在はアメリカのスミソニアン博物館が所蔵しています。
このように、王達は指輪などはもとより、ボタン、靴のバックルにまでダイヤモンドを飾っていました。
この時代は男性が力を示す為に、女性より美しいジュエリーを身につけていた時代です。
その後、1715年にルイ15世がわずか5歳で即位し、

7歳のルイ15世 1717年 フランス ヴェルサイユ宮殿

曾祖父のルイ14世から引き継がれ、ヨーロッパ中の王侯貴族が争って真似をしたブルボン王朝の「フランスの豪奢」が花開きます。
宝石や真珠を刺繍した上着を着けた、美男子の王を筆頭に、より豪華に、・・・そしてより優雅に。
男性達は金銀糸の刺繍や織物の装いに、宝石は服にも縫い付けられ、豪奢も2代目になりますと、力強さよりも「優しさ」「粋さ」といった魅惑的な「ギャラントリー」が大切になってきます。

宮廷貴族達の「 遊び心 」をふんだんに生かしたマスクやトランプのデザインのジュエリーが生まれたのもこの頃です。
宮廷ではどのようなジュエリーを身につけているかで男性の「趣味」と「知性」が問われました。

愛の告白 1731年 フランス トロイ作 ベルリン美術館

また、夫人達へのギャラントリー(礼儀)を発揮し、いかに美しく装わせるかで自らの地位を表し始めます。
そのため、以前は男性の方が華やかでしたが、18世紀中頃になりますと女性と男性が同じ位になってきます。

1785年 フランス ロズリン作 ゴンフォ侯爵夫妻蔵

その上、18世紀には古代ギリシャやローマの遺跡が盛んに発掘され、クラシックな古代文化が男性達をとりこにします。
王侯貴族達はカメオやインタリオ、モザイクを収集し、ジュエリーへ、キャビネットへと膨大なコレクションをしています。それが、ルイ16世時代の端正な「 古典スタイル 」の始まりでした。

次のコラムn.11へ続く…

◁ n.11 メンズ ジュエリー III   ルネサンスの男達 メンズ ジュエリー I ▷

ページの先頭へ