アンティークジュエリー物語n.40
クリムトと・・・
エミーリエのお洒落

エミーリエのオートクチュールサロンは、ウィーン中心街の「サロン・シュヴェステルン・フレーゲ」、内装はウィーン工房作で、エミーリエと姉妹は年に2度パリへ出かけ、当時最先端のポール・ポワレなどを扱いながら、ウィーン工房のドレスやジュエリー、帽子などを社交界へ紹介していました。
この写真はエミーリエ36歳の時、クリムトの絵そのもののような、不思議な魅力の女性ですね。


上の帽子はウィーンのアーティスト、クリゼール作、当時ウィーンで最も ” シックな ” フォトスタジオ「ドーラのアトリエ」でマダム・ドーラが撮影したものです。

そして下の銀のハートペンダントはヨセフ・ホフマン作、クリムトがエミーリエに贈ったジュエリーで、エミーリエはこのペンダントを身につけて、沢山の写真に写っています。” ハート ” に 2つの” 葉 ” のオパールをセットしたジュエリーは、重厚で官能的なクリムトの絵とは逆の、素朴さと純粋な内面を感じるのは、私だけでしょうか?


さて、クリムトのデザインは、19世紀のコルセットで締め上げたきついドレスではなく、開放的で機能的でいながら、刺繍やプリントを使った凝ったものでした。

ナチュラル 1910年 / ユージェニアの肖像 1913-1914年 トヨタ美術館

上のドレスは「ナチュラル」というタイトルですが、ウエストを絞ったドレスが主流だった当時は、保守的な人々から「奇抜で醜い!」とひどい評判だったそうです。
が、二人ともそんな言葉には一切動じず、良いと思うものを作っていったそう、


着やすく、ウィーン工房の刺繍やプリント生地を使った凝った細工の服なら、女性ならだれでも好きになりそうに思いますが、新しさはすぐには受け入れられないのは世の常、現在は1枚数億の価値を持つフランスの印象派の絵なども、当時のイギリスでは、「塗りたくり!」「見るに耐えない!」「今すぐにサロンの壁から外せ!」と言われていたのですから・・・
しかし時代は彼らを後押しします。


着やすく綺麗なドレスを求めて、ウィーンの女性達はサロンへ通いはじめ、クリムトの絵は国家が買い上げました。
クリムトは、絵だけでなくドレスデザインにも、エミーリエの別荘で目にする自然から、沢山のインスピレーションを得ていたそうです。

クリムトの絵、「湖畔のさざ波」、自然の湖水が美しいです。

アッターゼ湖をのぞむ 1902年 個人蔵

木々や花、陽炎の儚さや光の輝き、といった自然の美しさをうつし、エミーリエがモデルの多くの写真は、野原や庭で自然光で撮影されています。


エミーリエがよく身につけていたジュエリーには、ソートワールがありました。
ソートワールとは、大変長いネックレスのこと、ロングチェーンやペンダントを幾重にも着けています。


揺れるロングネックレスはいつ見てもエレガント、当時のドレスでも、短くすると現代にも着ることができそうなくらいモダンですね。

ブナ林 I 1902年 ノイエ・マイスター絵画館 ドイツ・ドレスデン

締め付けるコルセットから解放されたドレスで、どのエミーリエも自然で楽しそう、


1918年にクリムトが逝去し、エミーリエは1952年に78歳で亡くなるまで独身で過ごしましたが、髪が白くなった頃の、銀のハートのペンダントを着けて犬と一緒に写った幸せそうな笑顔の写真が残っています。

エミーリエ・フロジェの肖像 1902年 クリムト作 ウィーン美術館蔵

エミーリエは、クリムトとの愛と友情と自身のオートクチュールの仕事を持ち、世紀末の最先端を生きた女性でした。

19世紀末、芸術家との人生は、時には悲劇的な終わり方をしたこともありましたが、前向きで楽しく生きるすべを知っていた、豊かな人だったようです。
最後に、こちらはクリムトが1918年に描いたエミーリエのお母様の肖像画、

バルバラ・フレーゲの肖像 1918年 個人蔵

晩年のエミーリエはこのお母様そっくりです。
ロングチェーン好きはお母様譲りでしょうか、黒衣に映えて、微笑みと気品のある佇まいが素敵な方ですね。

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