アンティークジュエリー物語n.47
ルネサンスの遺産
ピエトラ・デュラ

このコラムでは、アンティークジュエリーやオブジェに使われる、フランスで「アルチザナール」と呼ぶ工芸美術をご紹介致します。
さて、この下の画像の絵のようなものは、何ででできていると思われますか?


すぐにおわかりになった方もたくさんいらっしゃるでしょう。
答えは「石」、
これは一般に「フローレンス・モザイク」と言われる、16世紀末のイタリア、フィレンツェで生まれた美術工芸です。
陰影や色は、まるで絵のようですね。

アンティークジュエリーやオブジェに見られる” モザイク ” には、「ローマン・モザイク」と「フローレンス・モザイク」がありますが、ここでは「フローレンス・モザイク」の技法をご紹介致します。

フローレンス・モザイクは、薄い板状の綺麗な色や文様の石を、下絵に合わせカットし、癒着材に蜜蝋を使い、石をパズルのように組み合わせ、模様を作っていきます。
つまり、この下の画像の壺の色や模様の一つ一つは、違う石をカットし嵌めてあるのです。
例えば、空中に浮かんでいるような白いテーブルも、このように、陰影までも石の色や文様で作り出しています。


拡大しますと、それぞれの石の境目までわかりますね。


周囲の緑も自然の石の模様を生かしていますから、下絵の完成度はもちろん、石の組み合わせのセンスも大切です。
この工芸美術は、16世紀終わり頃にフィレンツェで 始まりました。

さて、「フローレンス・モザイク」は英語ですが、本家イタリアでは「ピエトラ・デュラ」と言います。
「ピエトラ・デュラ」を直訳すると「固い石」という意味で、大理石だけでなく、宝石をカットしてはめ込んだり、石の表面に丸みを持たせ、表面に凹凸を出したものも含まれます。「ピエトラ・デュラ」の中で最も多いのは、建物の床や壁に、飾り棚、テーブル、箱、壁へ飾る肖像画などの家具です。
と言いますのも、天然の石の色や模様を使いますので、大きな面積の方が、石の美しさと組み合わせのテクニックが最大限に発揮されるからです。


ですから、” 最高の ” と言われるものにはテーブルが多く、特に現在、フィレンツェの宝物となっているメディチ家所蔵のものです。

もちろん、小さな面積のジュエリーやオブジェもありましたが、16世紀末〜18世紀のものは、非常に数少なく、今見られるものは、19世紀のグランド・ツアー(富裕な子弟教育の為のイタリア長期旅行)のためのスーべニール(思い出の土産品)として作られたものがほとんどです。

メディチ家のカトリーヌとフランスのアンリ2世の婚礼  16世紀前期 ウフィツィ美術館蔵

例えば、この下の ” 貝殻 ” のテーブルはメディチ家のもので、当時のピエトラ・デュラのジュエリーやオブジェがある場合は、当時の王侯貴族やその近辺、法王や教皇庁のために作られたものと言えるでしょう。


ピエトラ・デュラの多くは、黒い石を背景に模様を際立たせるスタイルが多いのですが、上の画像のように、メディチ家所有のクラスになりますと、古代ローマ皇帝専用と言われた、赤紫の大理石が使われています。

ページ一番上のものもしかり、黒の背景ではなく、緑の大理石を使っており、両方ともまさに稀少な石の使い方、と言えます。
家具の他には、建物の床や壁の装飾にも技術が使われています。
例えば下は、フィレンツェの「プリンス・シャペル」で、1601年にメディチ家のコジモ1世が作りました。


床や壁一面を「ピエトラ・デュラ」で飾ってあります。
天然の石を、工芸技術でいかに美しく見せるかという、人間の技術と感覚が競い合ってできた「ピエトラ・デュラ」、当時でもテーブルなどは実際に使わずに、絵や彫刻のように見て楽しみましたから、現在でも良い状態で保管されており、破損を防ぐ為に、表面をガラスで覆っています。

ウェブ上の写真では、石の微妙な色彩の良さをお伝えできずに残念ですが、実物を見る機会がある時には、ぜひ目を凝らしてご覧になってみてください。
天然の美と、人の知が感じられる工芸技術は、現在も受け継がれています。

続いて次のコラム n.48 では、もう一つのモザイク「ローマン・モザイク」のコラムが続きます。

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