アンティークジュエリー辞典 様式・デザイン&モティーフ

ルーヴルアンティークでお取り扱いをしているアンティークジュエリーとオブジェの「様式」「デザイン&モティーフ」についてご案内をしています。
アンティークジュエリーとオブジェをもっと詳しく知るために、このページ最下方もご覧下さい。

アンティークジュエリー辞典

アンティークジュエリーとオブジェの様式

【 古代世界の様式 】

◯ 古代エジプト
古代エジプトは北東アフリカのナイル川を中心にした地にあった文明で・・・・・続きは、ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「古代エジプト」の項へ
ジュエリーでは、紀元前3000年にはすでに黄金にカーネリアン、ラピスラズリ、カルセドニー、半貴石をセットしたネックレス、ブレスレットがあった。装飾のモティーフは神々、さまざまな神のシンボル、ウジャトの目、ロータス(蓮)、スカラベ、ハヤブサ、翼をもつ想像の動物、太陽、動植物が見られる。エジプト美術や装飾品は古代メソポタミア、ギリシャ、ローマの様式とともに「アケオロジー」「古代様式」としてヨーロッパの美術やジュエリーデザインへ大きな影響を与えている。

◯ 古代メソポタミア
メソポタミアとはラテン語で「複数の河の間」を意味し・・・・・続きは、ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「古代メソポタミア」の項へ
美術では神殿建築、ラピスラズリを目にはめ込んだ彫像、金属や貴金属へ彫金細工をした兜や壺、壁絵、レリーフ、セラミック、インタリオ(陰刻)のアミュレット型のシール、象牙彫り、金属製の動物、半人半獣のオブジェがある。ジュエリーでは遺跡から出土した黄金の頭飾り、瑪瑙やラピスラズリ、大理石をはめ込んだイヤリング、ネックレス、腕輪があり、神聖な動物とされたガゼル、山羊やライオン、翼のある雄牛をかたどった貴金属彫金のジュエリーやオブジェが見られる。
この時代のジュエリーは古代ギリシャ、エジプト、ローマへと形を変えて引き継がれ、「アケオロジー」「古代様式」としてヨーロッパの美術やジュエリーデザインへ大きな影響を与えている。

◯ 古代ギリシャ_ギリシア
紀元前40万年前、石器時代と言われる頃、すでに人類はこの地に住んでいた・・・・・続きは、ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「古代ギリシャ_ギリシア」の項へ
この時代の美術はヨーロッパの古典であり、古代メソポタミア、エジプト、ローマの様式とともに「アケオロジー」「古代様式」としてヨーロッパの美術やジュエリーデザインへ大きな影響を与えている。

◯ エトルスク_エトルリア_エトルスカンスタイル
エトルリアとは、紀元前8世紀〜1世紀に、イタリア半島中部(現在のトスカーナ地方、フィレンツェ〜ボローニャ、ペルージャ近辺)にあった都市国家群である。その古代文明の美術様式を仏語でエトルスク様式、英語ではエトルスカン・スタイルと呼ぶ。宝飾品では、グラニュレーション、オプス・インテルラシレ、フィリグリーなど非常に細かい金細工技法が発見されている。19世紀には、ローマの宝飾商カステラーニを筆頭とし、発見された古代の遺物にインスピレーションを受け、デザインや技法をジュエラー達が研究し「古代様式」「アンティックリヴァイヴァル」「考古学様式」のジュエリーが作られている。

◯ 古代ローマ
伝説では、トロイア戦争でギリシャを出たトロイアの武将アイネイアース一行は・・・・・続きは、ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「古代ローマ」の項へ
ジュエリーやオブジェでは黄金細工、ハードストーンのカメオ、インタリオ、彫金をつけた銀食器、色ガラスやカメオガラスの壺、大理石彫刻が見られ、この時代の様式は古代メソポタミア、ギリシャ、エジプトとともに「アケオロジー」「古代様式」としてヨーロッパの美術やジュエリーデザインへ大きな影響を与えている。

◯ 古代ペルシャ_イスラム_アラビア文化
古代ペルシャ帝国はペルシャ人(インド=ヨーロッパ語族)による紀元前550年頃から紀元前330年頃の文明で、現在のイランの辺りにあった王朝である。メソポタミア文明由来の楔形文字を使い、ゾロアスター教、農耕文化、中央集権国家、軍隊が揃い、モザイクやタイルで飾った美しい色の建築、ペルシャ細密画、絨毯織物、陶芸、書道、象嵌や寄木細工、レリーフ壁面彫刻などの高度な工芸技術を持っていた。紀元前330年以降はアレクサンドロス大王とその後継者が支配し、800年にはアラビア(セム系遊牧民族)人イスラム教徒が支配を行った。アラビア人は宗教をゾロアスター教からイスラム教へ変えたが、ペルシャ文化は破壊することなくそのまま受け継いだ。
ジュエリーでは、当地で採掘された見事なトルコ石、ラピスラズリ、瑪瑙やオニキス、ニコロアゲートなどの美しい文様のハードストーンを細かくはめ込んだ黄金細工のネックレス、イヤリング、腕輪、指輪、ヘアオーナメントがあり、建築のモザイクやレリーフに見られる動物や植物文様の装飾モティーフが見られる。アラビア人が支配後も破壊せずに受け継いだペルシャ文明の美術工芸は、ヴェネツィアの東方貿易によってルネサンス時代頃からヨーロッパへ伝わり、その独自の美しさは「ペルシャ様式」「オリエント様式」として時代を超えてジュエリーやオブジェへ影響を与えている。

【 フランス(コンチネンタル_ヨーロッパ大陸)の様式 】

◯ 青銅器時代_鉄器時代_ガリア_ケルト文化
現在、ヨーロッパの青銅器時代と言われる紀元前1500年頃から、長い時間をかけてケルト系と呼ぶ騎馬民族がヨーロッパへ広がり・・・・・続きは、ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「古代_ヨーロッパ_大陸_コンチネンタル」の項へ
美術では、最も古い頃のケルト系の発掘品に、騎馬民族ならではの戦車や馬の形の鉄器があり、ギリシャやエトルリアとの交易から得た、または見よう見まねで作ったと考えられるギリシャ様式の黄金細工のジュエリーがある。それは、縄編み状のブレスレット、イヤリング、ネックレス、琥珀をグラデーションで何連も連ねたネックレスである。紀元前6世紀頃には、ブロンズ製の200kgもある彫金細工のワイン壺、エトルリアの細かい黄金細工そのもののようなバングル、その先はライオンの足で、中央にはペガサスの飾りがついている。また古代ギリシャの黒とテラコッタ色の絵付け壺も見つかっている。
紀元前5世紀から1世紀には、独自の美術様式が強まっていく。例えば、輸入した古代ギリシャやエトルリアの文様を、ケルト風に変化させており、この時期に有名な「S字の中に細かい動植物文様を繰り返したケルト文様」が作られた。(19世紀にはブリテン諸島でケルト文化再興があり、文様を彫金した「ペナニュラー・ブローチ」を復刻している。)ジュエリーでは黄金にそのケルト文様を彫金し、ギリシャのデザインをデフォルメしたようなデザインが主流になった。長くギリシャの影響を受けながら、ケルト系独自の美術様式を作ったのである。

◯ 古代ローマ帝国属州時代_ガロ・ロマン_ルテティア
ガリア戦記を書いたシーザー(カエサル)が「ガリア」と呼んだ地はローマ化していく・・・・・続きは、ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「古代ローマ帝国属州時代_ガロ・ロマン_ルテティア」の項へ

◯ フランク王国
5世紀末頃にガリア(ヨーロッパ)へ移動したゲルマン民族が作り、のちのフランス・・・・・続きは、ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「メロヴィング王朝」「カロリング王朝」の項へ
この時代の美術文芸は「カロリング・ルネサンス」と言われ、ラテン語を国の基本にし、古代ローマやビザンティン(古代ギリシャ的美術)の建築、美術を取り入れ、聖書の解釈、翻訳が行われ、写本や細密画がこの時代の文化、美術を作った。ラテン語のためにカロリング小文字体が作られている。しかしラテン語は上の階級の人々だけで、下層階級の農奴たちはゲルマンの俗語を使っており、読み書きはもちろんできなかった。
美術では、キリスト教にかかわる美しい絵彩色とカロリング小文字体で綴った写本が主で、ギリシャやローマ文化から取り入れた黄金細工や宝石をはめ込んだ彫像、モザイクのように宝石をセットした装飾品や象牙彫刻が見られ、ほとんどが写本の表紙や、聖堂のためのオブジェのためであった。他には聖堂のフレスコ画、モザイクも見られる。

◯ 中世様式
中世様式は、大きくは「ロマネスク」と「ゴシック」に分けられる。
「ロマネスク」は1000~1100年代、イタリアから南フランスに多く見られ、特に教会堂の建築が主で、古代ローマ風の円形アーチ型でどっしりとした安定形、飾りは少なく中にフレスコ画が見られるくらいである。ジュエリーでは、黄金や銀へ彫金をしたシンプルな指輪や、ブローチが見られるが現存は非常に希少である。
次の時代「ゴシック」は1100年〜1300年代、北フランスに多く見られ、こちらも教会堂の建築が主で、天を衝くような高い尖塔、大きな窓とステンドグラス、外壁の彫刻が特徴である。最も古い「ゴシック」はパリ北のサン=ドニ修道院で、他にはアミアン、ランス、シャルトル、ノートルダムがあり、イタリアにはシエナ、アッシジ、ミラノ、イギリスではウェストミンスター、カンタベリー、ドイツではケルン、フライブルグ、シュトラスブルクの大聖堂が知られている。ジュエリーでは、窓や柱装飾の形を取り入れ、わずかな宝石を使った彫金した指輪、ブローチ、ネックレスなどが見られるが、現存は希少である。

◯ ルネサンス様式
ルネサンスとはフランス語で「再生」「復活」の意味で、1300年代にフィレンツェを中心にイタリア各地で始まり、スペイン、フランドル、ゲルマン圏(ドイツ)、フランスとヨーロッパ全体へ広がり1500年代末まで続いた時代をさす。古代ギリシャと古代ローマ時代の哲学、科学技術、芸術を見出し復活させ、人間を尊重し、優美と調和を理想とし、その思想は近代社会のきっかけとなり芸術へも反映した。天才芸術家の時代で「モナリザ」のレオナルド・ダ・ヴィンチ、「ヴァチカン・アテネの学堂」のラファエロ、「システィーナ礼拝堂の天地創造」のミケランジェロが知られている。絵や彫刻では、科学技術によって油絵技法が完成したのも絵画に大きな影響を与え、遠近法を使った写実的なもの、キリスト教以外の、例えばギリシャ神話の神々が登場し、この時代の美術はその後の手本となっている。ジュエリーでは、技術の進歩によって道具が発達し、ヴェネツィア貿易によってオリエントやインドから宝石がヨーロッパへ入り、彫金、エマイユ、カットした宝石を使った豪奢なものが作られた。しかし宝石のついたジュエリーを持てた人々は、ごくわずかな王侯や高位聖職者階級だけであり、当時のジュエリーは、後世に多くが失われたが、絵画の中ではその華やかなデザインや装い方がうかがえる。また、古代ギリシャやローマ時代の影響から、カメオ、インタリオがコレクションされた。1300〜1500年代の文化を初めて「ルネサンス」と言ったのは、フランスの歴史家ミシュレで、1855年に著作のタイトルで世に知らしめた。

◯ フランス・ルネサンス様式
15世紀_ブルゴーニュ宮廷_16世紀_百年戦争後のフランス統一_フランス王国_フランソワ1世_フォンテーヌブロー宮殿_シャンボール城_ロワール古城群

フランスのルネサンスは、1300年代中期からはじまり1500年代に花開いた。
時代はヴァロワ王朝(ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「ヴァロワ王朝」の項参照)、はじめに1309~1377年のローマ教皇のアヴィニョン移転により、多くのイタリア芸術家たち、学者たちがアヴィニョン、そしてフランス宮廷へ渡り、宮廷や教皇庁、教会の建築、絵画、彫刻、文芸活動を行う。1400年代にはフランス・ブルゴーニュ公の宮廷の東西南北ヨーロッパとの交易による富でフランス・ルネサンスが熟していった。1494年にフランスのシャルル8世がミラノ、フィレンツェ、ローマへ侵略に向かった土産としてのイタリアルネサンス芸術があり、最も栄えたのは1515~1559年のフランソワ1世と息子アンリ2世の代であった。フランソワ1世は芸術に心を注ぎ、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招きアンボワーズ城領内のクルーの館と年金を死の時まで与えた。王はレオナルドの死後、「今までこの世界にレオナルドほど素晴らしい人物がいただろうか。絵画、彫刻、建築に秀でただけでなく、非常に傑出した哲学者でもあった。」と偲んだと伝えられている。またイタリアから多くの建築家、画家、彫刻家、装飾家を呼び寄せ、ルネサンス美術のもととなったギリシャ古典学者を保護する「コレージュ・ロワイヤル(後のコレージュ・ド・フランス)」を設立し、フランスの文化芸術を豊かにした。当時のルネサンス建築には、フォンテンヌブロー宮殿がある。続いたフランソワ1世の次男、アンリ2世の王妃がカトリーヌ・ド・メディシスである。カトリーヌは言わずと知れたイタリアルネサンスの寵児で富と権力のあったフィレンツェ・メディチ家の娘である。1533年の結婚の時にはイタリアから多くの人と文化をフランスへ持ってきたと言われていたが、今は定説にはなっていない。しかし特別に美しくはなかったが賢いカトリーヌをフランス宮廷の人々は大切に扱い、そのセンスを讃えたと伝えられている。また王妃カトリーヌの生涯のライバルでアンリ2世の寵妾のディアーヌ・ド・ポワチエをモデルにした彫刻、絵が知られており、その女神的な美は、狩猟の女神ダイアナ(ディアーヌ)の名にかけて、19世紀になっても芸術家にインスピレーションを与えていた。
ジュエリーの様式は、上のルネサンス様式の項のとおりであるが、フランスでは、イタリアの重厚な感覚に軽やかさを加え、よりすっきりとした洗練されたものであった。

余談となるが、イタリアとフランスの美意識の違いは、作家「辻邦生」の、フィレンツェのルネサンス時代が舞台の小説「春の戴冠」に的をえた一文がある。
時代は1400年代末、フィレンツェのメディチ家の文芸サロン「プラトン・アカデミー」へ現れたピコ・デラ・ミランドラについて、主人公の私は、「・・・・・長身のピコは銀か金の刺繍のある、胸にぴったりついた白の胴着に、同じ模様の刺繍で飾った、膝の上まで丸く膨らんだズボンを着けていた。足には当時流行していた仏国(フランチア=フランス)風の白か灰色の長靴下を穿いていた。そして大抵は、腰までの、銀の花模様の細かい刺繍のついた青いマントを羽織っていた・・・・・」
「・・・・・それはフィオレンツァ(=フィレンツェ)の青年たちの派手な、青や赤や黒などの色彩をめまぐるしく用いた衣装に較べると、ずっと地味で異国風な感じがしたが、なんとも言えぬ好ましい軽やかな趣味が感じられ、かえってフィオレンツァの流行のほうが厚ぼったく、田舎じみて見えるのだった。私はいつかそのことをピコに言うと、彼は、これは全く仏国(フランチア)趣味で、ミラノやフェラーラあたりではこうした単純な、さっぱりとした繊細さが好まれているので、自分はただそれに従っているだけだ、といった・・・・・・」
小説に出てくるピコ・デラ・ミランドラは実在の人物で、1463年生まれ、北イタリアの領主ミランドラ家の末息子であった。ボローニャ大学、パドバ大学で学び、ギリシャ古典哲学、文学を研究し、カバラ神秘学に通じ、独自の世界観を作り、フィレンツェのメディチ家の「プラトン・アカデミー」と交流し、ギリシャ語とプラトンを学んだ。1485年にはパリ大学を訪問し刺激を受けて作った演説が「人間の尊厳について」である。31歳で逝去し、現在もミランドラの地には城跡が残っている。
当時のジュエリーは、後世に多くが失われたが、文学や絵画の中ではその華やかなデザインや装い方がうかがえる。

◯ ルイ13世様式
1589-1661_1601_1643_ブルボン王朝創成期の王_母后マリー_摂政_アンリ4世王妃マリー・ド・メディシス_フォンテーヌブロー宮殿_リシュリュー枢機卿_30年戦争

◯ ルイ14世様式
1661-1700_1643_1715_太陽王_ルイ大王_4歳で即位_母后アンヌ_マザラン枢機卿_摂政_コルベール財務総監_ヴェルサイユ宮殿_フランス芸術アカデミー

◯ バロック様式
「バロック」とは「歪んだ真珠や石」「難解な」という意味がある言葉で、1600年代にイタリアのローマでバロック建築が始まり、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェへ広がり、オーストリアのハプスブルグ帝国のウィーンで花開き、主にゲルマン圏(ドイツ)で1700年代中頃まで流行した。前のルネサンス時代の秩序正しい美しさから変わって、華やかでダイナミックな色や形、デフォルメの美の時代である。ジュエリーでは、飾りの多いボリュームのある服装に添って、ルネサンス時代のジュエリーのように装飾や宝石を使い、より華麗な装飾が好まれた。なお、この時代のフランスでは建築や装飾はクラシック(古典様式)が隆盛で、バロック的な美術は彫刻や庭園に見られるくらいである。

◯ レジェンス様式_リージェンシー
1700-1730_1715_1723_フィリップ・ドルレアン_ルイ15世王摂政時代_18世紀初期

◯ ルイ15世様式
1730-1760_1715_1774_18世紀中後期_ポンパドゥール侯爵夫人

◯ ロココ様式
「ロココ」はフランス発祥で、フランス語の貝殻を意味する「ロカイユ」から派生した言葉で、1700年代前半のルイ15世王時代の繊細で優美、明るく洒脱で自由、親しみやすい美しさの様式である。ロココ文化の中心人物はルイ15世の寵妾で、優れた才能と美的感覚があったポンパドゥール侯爵夫人であった。夫人は貴族の生まれではなかったが、子供時代から英才教育を受け、天性の美しさからルイ15世に見出され、文学、哲学、美術、音楽を愛し、学者や芸術家を招いた学芸サロンを開いた。
当時は花の世紀と呼ばれ、貿易によってオリエントから珍しい植物が入り、フランス庭園に咲き乱れ、オランジェリー(温室)が作られた。セーヴル工房やリヨン絹織物工房を保護し、花々からインスピレーションを受けたポンパドゥール好みの磁器やファッションがヨーロッパ宮廷で流行した。この時代のジュエリーには、優雅なリボンや花をモティーフにしたものが多く「ジャルディネッティ」と呼ぶ花籠型の指輪やブローチが見られる。また、ミニアチュールや絵画エマイユを使い、ダイヤモンドなどの宝石で飾ったペンダントやブローチ、指輪が好まれた。

◯ ルイ16世様式
1760-1789_1774_1792_18世紀後期_マリーアントワネット王妃

◯ 古典様式_クラシック_古典主義
古代ギリシャや古代ローマ時代の哲学、科学技術、芸術を「古典」として、優美と調和、端正で安定を基本とした様式をさす。
1300~1500年代のルネサンス文化よって、キリスト教文化へ「古典」を取り入れたのち、1600年代にはバロック様式がイタリアやオーストリア・ゲルマン圏に広がりを見せたが、フランスではバロックよりも古典様式が主となり、ルイ14世が1600年代末に建設したヴェルサイユ宮殿は古典様式の典型である。また、ルイ14世が創設したフランスの芸術アカデミーは古典様式の基本を打ち立て、ヴェルサイユ宮殿の建築、装飾が行われた。1700年代中頃からヨーロッパ王侯貴族はヴェルサイユ宮殿に憧れ、各国に似た宮殿を建てた。このようにルネサンス文化から引き継いだフランスの古典様式の建築が、文学、音楽、装飾芸術とともにヨーロッパへ広がった。
ジュエリーでは、古典的なカメオ、インタリオをはじめ、古代の遺跡から発掘された宝飾品にインスピレーションを受けたデザインがあり、装飾には古代建築にある縁取りのフリーズ、マスカロン、古代の神像、月桂樹の冠、リボン結び、ガーランド、珠飾り、ギリシャ文様などがデザイン、彫金、エマイユで取り入れられている。古典様式は1600年代後半から1800年代へ、ヨーロッパ美術の基本として、1700年代後半のルイ16世王とマリーアントワネット王妃の時代から、フランス革命後のナポレオン1世皇帝時代へと隆盛していく。なお、1700年代後半から1800年代初期の古典様式は、それ以前の様式に写実性を加えたフランス独自の古典様式の集大成として、完成した様式美を作り上げており、「ルイ16世様式」「新古典様式」と呼ぶ。

◯ ナポレオン1世様式_帝政様式_アンピール_エンパイア_フランス
1804年〜1815年のナポレオン1世皇帝時代の古典様式をさす。アンピールはフランス語で帝政を意味し、英語読みがエンパイアである。ナポレオンは自らをローマ帝国皇帝の後継者と位置づけし、古代ローマ帝国の建築、遺跡発掘品、装飾に影響を受けた様式を作った。端正で重厚、均整の取れた完成した美しさで、フランスの有名な建築では、カルーゼル凱旋門、エトワール凱旋門、マドレーヌ寺院、現在ジュエラーの集まるヴァンドーム広場があり、いずれも古代ローマ時代の建築がもとになっている。
装飾ではギリシャ・ローマ建築のモティーフに加え、古代エジプト様式も取り入れている。ジュエリーでは、古典的なカメオ、インタリオをはじめ、古代の遺跡から発掘された宝飾品にインスピレーションを受けたデザインがあり、装飾には古代建築にある縁取りのフリーズ、マスカロン、古代の神像、月桂樹の冠、リボン結び、ガーランド、珠飾り、ギリシャ文様などがデザイン、彫金、エマイユで取り入れられている。
当時のファッションリーダー「ジョゼフィーヌ皇后」が、古代の白い布を巻きつける衣装トーガから影響を受けた白い薄手モスリンのハイウエストのアンピール・ドレスに、インドのカシミール織物ショール、古代風のサンダルを履き、カメオや宝石を連ねたネックレス、イヤリング、ブレスレット、リングのパリュールを着けたスタイルは、ヨーロッパ宮廷へ流行した。ジョゼフィーヌ皇后がフランスの有名なジュエラーでナポレオン宮廷御用達の「ショーメ」へ、アンピールスタイルのティアラを注文し正装に着けたのち、ティアラがヨーロッパ王族の女性の礼装の一つとなったと言われている。なお、ナポレオン1世皇帝時代の古典様式を「新古典主様式」と呼ぶ。

◯ 新古典様式_ネオクラシシスム_ネオクラシック_新古典主義
1700年代後半から1800年代初期の古典様式をさす。この時代の古典様式は、特にグラン・トゥール(英:グランドツアー ※ヨーロッパの歴史と国・部時代と文化参照)が流行した1780〜1810年頃に、古代ローマ時代の芸術からインスピレーションを受けている。ローマ、ポンペイ、ヘルクラネウム、エルトリアの遺跡群から発見した建築、壁画、彫刻の端正な美しさは、グラン・トゥールでイタリア大旅行をした王侯貴族や富裕な子弟に大きな影響を与え、美術品や銅版画、装飾品がコレクションされ、各国から建築家、画家、彫刻家がイタリアへ古代の美と哲学を学びに向かい、持ち帰った成果は各国へ古代ローマ的建築、彫刻、絵画、装飾となって昇華した。
特にフランスの1770年代以降のルイ16世王から革命を経て、1800年代初期のナポレオン1世皇帝時代には、フランスが筆頭になり古典様式を完成させ、「ルイ16世様式」「帝政様式(ナポレオン1世)」として確立し、その様式は帝政ロシアのエカテリーナ2世、イギリスのジョージ3世、プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世が取り入れた。このムーヴメントは1800年代終わりまで続き、以降もヨーロッパ美術の基本の一つとなっている。ジュエリーでは、古代の、あるいは古典様式のカメオ、インタリオ、装飾には古代建築にある縁取りのフリーズ、マスカロン、古代の神像、月桂樹の冠、リボン結び、ガーランド、珠飾り、ギリシャ文様などがデザイン、彫金、エマイユで取り入れられている。

◯ 王政復古時代様式_シャルル10世王_ルイ18世_ルイ・フィリップ王_フランス
1814年のナポレオン1世皇帝の失脚後、1830年まで続いたブルボン王朝による立憲君主制。まずルイ18世が復位した。ルイ18世は18世紀前期のルイ15世の孫で、兄はルイ16世、1755年にヴェルサイユ宮殿で誕生する。逝去後の1824年に弟のシャルル10世が続いた。シャルル10世王は若い時代にマリーアントワネット王妃と懇意で、宮廷的でもっとも王らしい王と言われる。1830年までの王政期には、18世紀のブルボン王朝様式やマリーアントワネット好み、中世、ルネサンス時代様式が復活し、ネオ・ゴシック、ネオ・ルネサンスといった工芸美術が流行する。1830年にはオルレアン朝のルイ・フィリップ王が即位し1848年まで在位した。一般には、1814-1848年を「フランス王政復古時代」と呼ぶ。

◯ ナポレオン3世様式_第二帝政様式_セカンド・エンパイア_フランス
1852年〜1870年に在位したナポレオン3世皇帝時代から1890年頃まで続いた、アンティック、ゴシック、ルネサンス、エジプシャンといった歴史的な様式を融合したスタイルをさす。また、ウージェニー皇妃がブルボン王朝やマリーアントワネット王妃の18世紀王侯貴族のスタイルを取り入れ、華やかな宮廷文化が花開いた。建築ではオペラ座、オスマン建築、デパートや駅などの公共建築物がある。ナポレオン3世皇帝は自由帝政のもとで商業や金融、文化の発展に力を注ぎ、産業革命によりフランスの経済発展に大きな効果をあげ、イギリスとも協調しフランスの国際的地位を高めるなど、政治的敏腕の持ち主であった。鉄道の整備やオスマンの指揮のパリ改造計画により、中世の建造物からオスマン建築へ変化させ、道路に水を流す街路清掃システムやガス灯の整備、オペラ座、コンコルド広場といった現在のパリの姿が作られた。この時代のフランスは、産業革命と豊かな経済によって、工芸の世界でも道具や機械が発明され、技術が飛躍的に発展し、創作に幅ができ、さまざまなテクニックを使った精緻な作品が作られた。ジュエリーでは、ウージェニー皇后の18世紀宮廷貴族好みから、ブルボン王朝的な豪華な装飾様式や、歴史主義、古代主義、ルネサンス時代様式など、古来にインスピレーションを受けたジュエリーが作られている。

◯ 古代様式_アンティック・リヴァイヴァル_アケオロジカル・スタイル_考古学スタイル_アケオロジー
19世紀前期頃から始まった、古代ギリシャ、古代ローマ、古代エジプト、メソポタミアといった遠い古代の様式にインスピレーションを受けた様式。アケオロジーとは、フランス語で「古代の事柄の研究」の意味がある。

◯ ネオルネサンス
19世紀のフランスを中心にヨローロッパで発した古い時代の様式にインスピレーションを受けて、新しいデザインを作り出す「復古主義」「歴史主義」の中のルネサンス・リヴァイヴァルのこと。ルネサンス時代のジュエリーの複製ではなく、様式や装飾デザイン、モティーフにインスピレーションを受けた装飾のことである。「ルネサンス・リヴァイヴァル」「ネオ・ルネサンス」と呼び、フランスではファリーズやヴィエズといったジュエラーが得意とした様式で、イギリスではホルバイネスクと呼ぶジュエリーや、カルロ・ジュリアーノが創作している。

◯ ネオゴシック_ゴシック・リヴァイヴァル
19世紀のフランスを中心にヨローロッパで発した古い時代の様式にインスピレーションを受けて、新しいデザインを作り出す「復古主義」「歴史主義」の中のゴシック・リヴァイヴァルのこと。ゴシック時代のジュエリーの複製ではなく、様式や装飾デザイン、モティーフにインスピレーションを受けた装飾のことである。

◯ エジプシャン・リヴァイヴァル
19世紀のフランスを中心にヨローロッパで発した古い時代の様式にインスピレーションを受けて、新しいデザインを作り出す「復古主義」「歴史主義」の中のエジプト美術様式のリヴァイヴァルのこと。古代エジプト時代のジュエリーの複製ではなく、様式や装飾デザイン、モティーフにインスピレーションを受けた装飾のことである。

◯ ジャポニスム_シノワズリ_オリエンタリズム_東洋美術
日本、中国、中東やインドなどの、ヨーロッパから見て東に位置する国や文化から影響を受けた様式。18世紀以前のヨーロッパへ輸入された陶磁器、漆器などの東洋の美術品は、海洋貿易の少なさや困難さから、ごく一部の王侯階級のみが宮廷へ飾り、見ることができたもので、一般にはほとんど知られていなかったが、19世紀になり陶磁器、漆器だけでなく、絵画、版画、屏風、掛け軸、織物、衣類などの装飾品がヨーロッパへ大量に入り、芸術家や文学者たちが手に取れるようになった。アーティスト達はそのヨーロッパとは違った美に魅入り、インテリア、絵画、彫刻、装飾品へ取り入れた。単なる複製ではなく、ヨーロッパ独自の美意識をベースに、色や構図の東洋美術の良さを捉えた作品群で、絵画では印象派のモネ、ゴッホ、ドガ、クリムトなど多くの画家たち、音楽ではプッチーニの蝶々夫人、ジュエリーでは、ファリーズやラリックのエマイユや彫金作品が印象的である。

◯ アールヌーヴォー
19世紀後期のフランスからベルギーで始まり、ヨーロッパで流行した美術様式。
中国や日本などの東洋美術の影響を大きく受け、特に日本の着物、陶磁器、屏風、蒔絵といった精緻な装飾品や、日本画、浮世絵などのから構図、色使い、モティーフのインスピレーションを受けた美術品が作られ「ジャポニズム」はアールヌーヴォーの中心である。動物、植物、昆虫、風景のモティーフが多く、曲線的で、装飾的なデザインのジュエリーが作られている。例として、ルネ・ラリックのジュエリーは、典型的なアールヌーヴォー様式である。

◯ 自然主義_ナチュラリズム_様式_ムーヴメント_スタイル
装飾美術のテーマの一つで、植物、動物など自然界のモティーフを使う、またはインスピレーションを受けたジュエリーやオブジェを指す。19世紀末〜1900年初期の芸術運動のアール・ヌーヴォー様式もその一つである。

◯ ウィーン分離派_ セセッション_ゼツェッション
19世紀末にオーストリアのウィーンでのアール・ヌーヴォーをさす。伝統にとらわれない「新芸術」を目指し1897年に独立したウィーンのアーティストグループを「ウィーン分離派 セセッション(独:ゼツェッション)」と呼び、その後「ウィーン工房」へと変化した。フランスのアールヌーヴォーやイギリスのアーツ&クラフツの影響を受けており、メンバーにはグスタフ・クリムト、オルブリッヒ、ヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザーがおり、絵、彫刻、デザイン、工芸、建築それぞれを分けずに一つの総合芸術として見て、一人のアーティストが様々なデザインを行うのが特徴であった。例えばクリムトは絵を描き、ジュエリー、ファッション、インテリアのデザインを行い、ヨーゼフ・ホフマンは建築、装飾、ジュエリー、家具、食器、庭園のデザインを行っている。

◯ ユーゲントシュティール
19世紀末のゲルマン圏(ドイツ)でのアール・ヌーヴォーをさし、ウィーン分離派もその一つに入る。フランスのアールヌーヴォーやイギリスのアーツ&クラフツの影響を受け、工房やアーティストグループを結成し、今までにない新しさを生み出す芸術運動が行われた。ウィーン分離派以外のゲルマン圏(ドイツ)のグループには、装飾的よりも合理性と目的性、構造を大切にする傾向がある。

◯ ベルエポック_フランス
ベルエポックとは、フランス語で「美しき良き時代」の意味で、19世紀末から1910年代のパリを中心に花開いた文化芸術の時代を指す。
19世紀中頃のナポレオン3世皇帝時代から発展した産業革命によって、経済が隆盛し、パリへは世界中から富豪が集まった。その注文に答えるように芸術家、建築家、宝飾家、作家、研究者などが各分野で活躍の場を与えられ、都市文化が栄えるようになった時代。
1914年に第一次世界大戦が始まると沈静するが、その後の1920年代には復活し「レ・ザネ・フォル」狂乱の時代と言われるモダンな時代が始まり、「アール・デコ」スタイルに変化していく。

◯ アール・デコ_後期アール・デコ
1920_1930_1940
「アール・デコ」とはフランス語の「アール・デコラティフ 〜装飾美術」の略語で、第一次世界大戦後の1910年代末頃から1920年代を中心に1930~40年代初期の装飾様式、アート・ムーヴメントをさす。立方体、方形、円、三角形などの幾何学型デザインが主流で、当時の前衛芸術(アヴァンギャルド)であった。建築から始まりインテリアデザイン、グラフィックデザイン、オブジェ、ジュエリーへと広がった。インターナショナルスタイルとして、フランスのパリ、アメリカのニューヨークを中心に、ヨーロッパ、カナダ、オーストラリア、アジアまで広がった。有名なアール・デコ建築としては、パリのシャンゼリゼ劇場、ニューヨークのクライスラービルがある。モダニズム(現代性)の先駆けの装飾様式であるが、他の文化の借り物ではなく、ヨーロッパが古代ギリシャ時代から長い時間をかけて作り上げた黄金比を代表する数学や美的感性を土台にした上で作られ、現代の目で見てもなお完成された美の装飾様式である。

◯ 20世紀後期_アートモダン_モダニズム
1950_1960_1970_1980-
「近代美術」のことで、大きな意味ではそれまでの伝統的で保守的な芸術界を飛び出し、反抗した20世紀以降の美術ムーヴメントをさすが、現在は第二次世界大戦後の1950年代から1970年代の美術をアートモダン、1960年代末頃からはポスト・モダニズムと呼び、1980年代以降はコンテンポラリー・アートと呼ぶことが多い。他にはシンプルで最大限の効果を生むことを目的にしたミニマリズムがある。

【 ロシアの様式 】

かつて、この広大な大地に遊牧民族が住んでいた。800年代に・・・・・続きは、ヨーロッパの歴史と国・時代と文化「ロシア・ツァーリ_帝政ロシアの項へ
美術では、当初から古代ギリシャ的なヴィザンティン帝国の影響を大きく受け、1453年にヴィザンティン帝国が滅ぶと、ロシアはその遺産を受け継ぎ、モスクワがロシア芸術の中心地となった。
イコン、細密画、モザイクが聖堂や教会を飾り、ポーチカという丸みのある尖った屋根が特徴の伝統的な木造建築、ウラジーミルの生神女就寝大聖堂、至聖三者聖セルギイ大修道院などのロシア建築独自の聖堂や、冬の宮殿(エルミタージュ美術館)がある。1700年代後半はエカテリーナ女帝は、フランスのルイ14世太陽王とヴェルサイユ宮殿、古代ローマ皇帝を手本に、古代様式を建築、絵画、彫刻に取り入れた。女帝自身も古代からルネサンス時代のカメオ、インタリオのコレクションを持っているほどで、自らを神話の女神として描いた絵が残っている。
19世紀には独自のロシア文学、ロシア音楽を作り出している。有名な作家ではツルゲーネフ、プーシキン、トルストイ、ドストエフスキーがいる。20世紀にはロシアン・アヴァンギャルドなどの前衛芸術を生み出し、ヨーロッパ、オリエントいずれにも属さない、ロシア独特の芸術を持っている。

【 イギリスの様式 】

◯ チューダー・スタイル_Tudor_イギリス
15世紀末〜17世紀初期_ルネサンス
1485年〜1603年 チューダー朝_ヘンリー8世_エドワード6世_メアリ1世_エリザベス1世

◯ ジャコビアン・スタイル_Jacobean_イギリス
17世紀_イギルスゴシックとルネサンスの結合
1603年〜1625年 ステュアート朝_ジェームズ1世

以下の期間、イングランドでは国王暗殺計画、30年戦争、1642年ピューリタン革命、内戦、クロムウェル独裁、対オランダ戦争、ペストの流行、1666年ロンドンの大火事といった混乱により、文化的には難しい時代であった。

1625年〜1649年 チャールズ1世
1660年〜1685年 チャールズ2世
1685年〜1702年 ウィリアム3世
1702年〜1714年 アン女王
アン女王の死後は跡継ぎなく、母方にステュアート家の血を引くプロテスタントの中で最も近縁の神聖ローマ帝国のハノーファー選帝侯ゲオルク(Georg 現在のドイツの1公国)がジョージ1世となる。この血統が現在のイギリス王室に続いている。

◯ ジョージアン・スタイル_Georgian_イギリス
18世紀_19世紀前期_古典_ロココ_新古典_エジプト様式_オリエンタル趣味
1714年〜1830年 ハノーヴァー朝_ジョージ1世_2世_3世
ジュエリーの歴史におけるジョージアンは主に19世紀前期(ジョージ3世後期_ジョージ4世_ウィリアム4世1800年〜1837年)をさす。

◯ リージェンシー・スタイル_Regency_イギリス
新古典主義_古代ギリシャ様式_古代ローマ様式_エジプト様式_オリエンタル趣味
1820年~1837年 ハノーヴァー朝_ジョージ4世_ウィリアム4世
主に建築様式をさす。

◯ ヴィクトリアン・スタイル_Victorian_イギリス
19世紀中後期
1837年〜1901年 ハノーヴァー朝_ヴィクトリア女王

◯ エドワーディアン・スタイル_Edwardian_イギリス
20世紀初期
1901年〜1915年 サクス=コバーグ=ゴータ朝_エドワード7世
エドワード7世の母はハノーヴァー朝_ヴィクトリア女王であるが、ザクセン=コーブルク=ゴータ家出身の実父アルバート公子の系統からサクス=コバーグ=ゴータ朝に改名、その後、ジョージ5世は第一次世界大戦の反ドイツ感情によりウィンザー朝へ改名し、エドワード8世(退位_ウィンザー公爵)、ジョージ6世、2020年現在、エリザベス2世に続いている。

◯ アーツ&クラフツ運動_Arts and Crafts Movement_イギリス
19世紀後期_ウイリアムモリス_中世様式_ネオ・ゴシック_アールヌーヴォー

※ 時代によって、ブリテン諸島(イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド他)の名称は変化するが、ここではイギリスと記載する。
※ 王や皇帝の在位期間をのぞき、年代と様式は歴史観、地域によって多少の流動が見られ、ここでは広くは世紀、狭くは年単位で示している。

デザイン・モティーフ

◯ フルール・ド・リス_百合の紋章
アンティークジュエリー物語 n.7 百合の伝説 フルール・ド・リス I
アンティークジュエリー物語 n.8 ベルエポックで フルール・ド・リス II

◯ トゥッティ・フルッティ
トゥッティ・フルッティ(tutti frutti)とはイタリア語で「すべての果物」 を意味する。イタリアでは、砂糖漬け果物入りの菓子やジェラートのこともこのように呼ぶが、ジュエリー界では、フランスのジュエラー「カルティエ」がアール・デコの時代にインドの彫刻を施した色彩豊かな宝石を使い作ったジュエリーのことを言い、カルティエ独自のスタイルとして認識されている。ブローチ、ネックレス、イヤリング、ブレスレットなどがある。

◯ ジャルディネッティ_ジャルディネット
ジャルディネットは小さな庭の意味で、複数が「ジャルディネッティ」である。ラテン語が源泉で、フランス語では「フルール・ド・ジャルダン – 庭園の花々 – 」という意味となり、花かごや古代風の壷に入ったバラの木や花々をジュエリーに表した宝飾様式を言う。18世紀、ヨーロッパではフランスのルイ15世太陽王の宮廷を中心としたロココ文化の華が開いた時代で、オランダやヴェネツィアの海洋貿易により、オリエンタルの国々からヨーロッパへ様々な花や薫香がもたらされ、王侯貴族の宮殿へ庭園や温室を作ることが流行し「花の時代」と呼ばれ、花籠スタイルのジュエリー「ジャルディネッティ」がリングやブローチに作られた。

◯ ガーランド_ガーランドスタイル
主に花葉の植物、水玉を流線型の連なりやリースにした形のことで、古代から月桂樹の冠のように、建築や儀式のあしらいに使われた装飾様式である。
18世紀のフランスでは、花や葉の連なったデザインが、建築、家具、ジュエリー、絵画、彫刻などに使われ、そのスタイルがヨーロッパの王宮へ波及した。
その流れは19世紀中頃のナポレオン3世皇帝時代へ続き、1900年前後のベル・エポック期には、「ガーランドスタイル」として、ミルグレーンを付けたプラチナとダイヤモンドの繊細で曲線的なジュエリーが作られる。

◯ トランブラン_トレンブラン
トランブランはフランス語で「揺れる・振動」の意味で、ブローチやネックレスなどで一部が揺れる仕掛けに作ったジュエリー。

◯ メメント・モリ
ラテン語で「死を忘れるなかれ」の意味。この考え方のもとは、古代ギリシャ哲学から派生し、ヨーロッパに根付いていた死生観である。
古代ローマ時代の人文主義では、骸骨のモザイク画が残っている。その後中世キリスト教世界の一つの教えとなり、1400〜1500年代のルネサンス時代へ続き、骸骨、死神、柩(ひつぎ)、墓、蝋燭を消す天使といった死を連想させるモティーフやシンボルを使った祭壇画、装飾品や美術品を「メメント・モリ」と呼んだ。医療は発達していず子供が大人になるまで成長する確率は低く、軽い風邪でも死に至り、その上ペストの流行で多くの人を失った当時のヨーロッパでは、常に死が隣にあった背景も影響し、「誰にでもいつかは死が訪れる、だからこそ時を大切にして今を楽しめ」「人間には必ず死が訪れ、春が美しければ美しいほど地上に永遠は無い。」という考え方が広まった。「死」がテーマであるが、悲観的ではなく、キリスト教では生への虚しさを教訓にしているが、深い部分で生きることへの賛美と肯定的に人生を送ることが大切であるという意味を込めた文言で、墓石彫刻や聖堂だけでなく、装飾的な絵画や彫刻にもそのシンボルを示している。ジュエリーでは骸骨をあしらった指輪、ペンダント、ブローチ、ミニアチュールが見られる。なお、18~19世紀に主にイギリスで見られる特定の故人をしのぶ「モーニングジュエリー(喪のジュエリー)」とは意味的につながりは無く、フランスの故人の編んだ髪をセットしたジュエリーは特定の故人をしのぶ「思い出のジュエリー」であるが喪用ではなく、メメント・モリの本来の意味とも違っている。

◯ スカラベ
古代エジプトでは聖なる甲虫と呼ばれる守り神である。玉を転がしながら地中へ消え、また出てくる習性が天体の運行に見えることから〝 太陽神ケペラの化身 〟として、「再生と豊穣のシンボル」で、創造性を与えるとされている。神殿や宮殿を飾り、身につけるモティーフとして使われている。

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